私、少しだけ神様とお話できるんです


 「私、少しだけ神さまとお話できるんです」
   井内 由佳著 1470円 文屋出版

 

ちょっと気になっていた本を図書館で見つけたので、借りて読んでみました。
感想は・・・う〜ん。

内容については、自分中心ではなく人の幸せを願う生き方やポジティブシンキングなど自己啓発的で立派な考え方だし、書かれてある内容を人生訓として日々自己を顧みながら生きていくことが大切だなあと素直に思います。

ただ、ちょっと違和感があるのは“神さまが嫌う行動とか神さまに好かれる考え方”などという言葉・・・。
神さまという大きなバックアップの存在の言葉を伝える媒体?のような表現は、その言葉の責任みたいなものを神様にあずけているというか・・・。

神さまとつながっているということを、どうこう言うつもりはないのです。
ただ、もっと深く著者の体験談やそこからどのように試練や考えを重ねてきて、こういう思いに至ったのかという、泥臭い感じ?を知りたかったかなあという感じかな。

内容ができあがっていて美しすぎるというか・・・まあだからこそ、そういう幸せをめざしてがんばろうという気分にさせてくれる、人気も出ている本なのでしょうけどね。

きれいで華やかな著者の写真は、ブランドを身にまとい旦那と子どもと幸せに暮らし、なおかつ自立して輝いている憧れの女性という印象を与えるのかな。 
(単なるひがみが入った先入観・・・?) 
 
私は、その人自身が試行錯誤した生き方から出てきた発想・思想などが出ている本が好きなので、好みの問題だと思いますね。

 
神様ってなんだろう・・・と、考えるのです。

神社の雰囲気が好きでよくお参りにも行くのですが、神社のご神体は、古事記などの神話にでてくる神様であったり、実在の人物の鎮魂のために祀られていたり、岩などの自然物の場合もあります。

日本の神様は日本人っぽい出で立ちだし、外国の神様はその国の人の姿(名前)であったり、動物であったり架空の生物であったり・・・。

仏教など宗教全般の神様論も含めると、ややこしくなってしまいますけど。
(というか論じる知識も持ち合わせておりません)
 
私が思う神様像というのは、古代ご先祖たちが豊かな大自然の恩恵を受けながら、人間はこの世の無限の創造物の中の一部という考えで、無限大に見守ってくれるような存在として、その土地に住む人たちが代々とそれぞれの言霊の力で大事に語りついできた、感謝の象徴のようなものなのかなあという感じです。

神さまを大切に思うということは、この世に私がいられるということに感謝するという意味で、まずは身近なご先祖を敬ってお墓参りを欠かさないようにしたり、親をはじめ周りの人たちを大切に思う行動をしたり、自然を後世に残すために努力をした生活をするなど、身のまわりのささやかなことから日常的に心がけていくのが大事で、それが神さまを思うことにもつながるのではないのかなあと思っています。
(結局は、この本が主張している内容と同じようなことになるのかもと思いますけど)

私は神社仏閣に参拝した時には、
「いつもお見守りいただきありがとうございます。私はこういうことに努力してみますのでどうぞお見守りくださるようお願いします・・・」
と、思い願うようにしています。

「自然の猛威をお静めくださいますように・・・」
というお願いはしますけど、どちらかというと祈願というよりは感謝と目標(また?)を自分に言い聞かせに、お参りに行くような感じですかね。

なので、神様という存在(というか神社仏閣めぐり?)は自分への暗示としてパワーを与えてくれることに感謝こそすれ、どうにかしてくれるとは思ってはいないかな。

私の実家は無宗教で(お葬式も無宗教式です)特別な宗教観は今のところもっていないので、ちょっとお門違いな発言かもしれませんが・・・。

特別な場所や自然物(生物)が出す「気」のパワーというのはあるのじゃないのかなとは思ってますけど。
あと願掛けも・・・。

家を留守にする時は事故が起こらずに無事に帰って来られますように・・・と、掃除(水まわりなど)をするとかいう習慣はありますね。

そして、パワースポットとかスピリチュアルな世界にもちょっと興味あるんですよね〜。 
我ながら、ミーハーというか中途半端な思想です・・・。