命に過ぎたる宝なし・・・

 
先週末、実家に帰省してきました。
姉たちと父の誕生日をお祝いするためと、友人から知人の訃報をきいたのでお参りに行ってきたのです。
 
今年の夏は、2人の訃報を耳にしました。
一人は同僚というかお世話になった先輩でもあり、知人のお父様でもある方ですが、胸腺に癌が見つかって急逝されたということでした。
もう一人は、私の教員時代の生徒で同僚のお子さんでもあるのですが、病気を苦に自殺されたということで。

私とは、彼らの人生の中の通りすがりの付き合いの程度であったと思いますが、知り合いが亡くなるというのは本当に悲しくショックは大きいものです。
ご家族や深いかかわりのあった方々にとっては、更に現実を受け入れがたい毎日をすごしていることでしょう。
どこを探しても、もうこの世に存在しないということは、とても信じがたいことです・・・。

私の知りあいだった人で自殺をした人が、今回の方も含めて3人います。
原因は、家庭のことだったり前途失望感だったり・・・。

とても辛く思い悩んだ結果なのでしょうが、その前にその暗く閉塞した思考を何とか少しでも違う方向に向かわせてあげることはできなかったのか・・・と、残された者は悔やんでも悔やみきれない気持ちです。

一人で思い悩んでいると(特に夜など)、悪い方ばかりにしか考えが進まないことは誰にでもあることです。
嫌な思いはどうしても後をひき、その思いは繰り返し考えてみても解決は生まれ難く逃げ場もないように思えてきて、こんな思いから解放されたい唯一の逃げ場(と思われるの)が、自殺という手段ということなのか・・・。
悲しすぎるなあ。
  
最近の新聞で、「いじめ」や「自殺」という言葉を見ない日はないように思い、心が痛みます。
自殺を選択しようとする彼らの気持ちのありようを変えてあげられる環境づくり、嫌な思い中心の生活から自分らしく生きられる生活に向けた考えの方向にシフトしてあげられるような出会いやきっかけは、どうあればいいのだろう・・・と。

周りが気づいてあげること、そして本人が自身で抱え込まずに周りに助けを求めること。
単純なことなのに、現代の人間関係では行動に移すのも難しくなってしまっていると言えるでしょう。
いかなる境遇も、その人自身の思考と行動によって前向きに変化をもたらすことはできるのではないのかと思うのですが。
 
今を大切に生きるということ・・・言葉が見つかりませんが、今年はなんだかそんなことをぼんやりと考える機会が多いかな・・・。