やなせたかし みんなの夢まもるため

 
    

  
   「やなせたかし みんなの夢まもるため」 
   〜 やなせたかし+NHK取材班 著 NHK出版 〜

 
東日本大震災の後に一番多く歌われたのが、「アンパンマンのマーチ」だったそうです。
アンパンマンのマーチ」が多くの人たちを元気づけていることを知り、やなせさんは一つのポスターを描きあげて被災地に送りました。

「明けない夜はない」、と思わせる真っ赤な太陽に照らされた空を飛ぶ、笑顔のアンパンマンが描かれたポスター。
 『 ああ アンパンマン やさしい君はいけ みんなの夢 まもるため 』

当時のやなせさんは92歳。
癌を患い、腎臓や胆嚢や膵臓、心臓の手術も受け、糖尿病の疑いもある、目も耳も悪い、本人いわく、“体は病気の詰め合わせセットのような状態”。
引退を考えていらっしゃった時でしたが、自分に励ます力があるのなら、と創作活動を再開されたのでした。

やなせさんは、震災後に歌も作って被災地へ送っています。
その一つは、陸前高田市にある「奇跡の一本松」に感銘を受けて書いた「陸前高田の松の木」という歌。
    

 
  こちらでメロディーも聴くことができます 
  
 rikuzentakatanomatsunoki phpバージョン


元気づける歌詞の中、一際暗く目をひくのが三番の歌詞。
やなせさんは、一本松を「ヒョロ松」と呼び、気にかけていたそうです。
「七万本の中で唯一生き残った状況が、九十歳を過ぎて同世代に生まれた人たちがほとんど亡くなってしまい、さみしく生き続ける自分の境遇に似ているから」と。

お父さんに幼少の頃に先立たれ、お母さんは再婚していなくなり叔父さんの家で育てられ、その叔父さんも亡くなってしまい、軍隊に召集された後に戦争でたった一人の血を分けた弟さんを亡くし、心の支えだった奥様も他界され、何度も何度も大切な人との別れで辛い思いをしてきたけれど、それでも生きていこうと明るく楽しいことを見つけては希望に変えてきた、ご自身の人生も投影した歌詞だったのかな…と思われます。
 
〜本文のNHK記者の言葉より〜
「人生は決して甘いものじゃない。つらいこともたくさんある。それでも、希望を抱きながら、生きるしかない。…津波被害の生々しさが歌われているからこそ、震災の記憶の風化を防ぐツールになると考えている。」

奇跡の一本松は残念ながら枯死してしまいましたが、その枝を接木した子どもの松たちが、大事に育てられています。
やなせさんが、その4本+1本に「ノビル」「タエル」「イノチ」「ツナグ」「ケナゲ」と命名し、今も力強く育っているそうです。
 ※「ケナゲ」は出雲大社へ奉納され、参道に植樹されるということですよ
 
「希望のありか なんのために生まれてきたの?」 
   やなせたかし著 PHP出版 本文より〜
 

絶望せずに、まず一歩進むこと。
でもね、一歩進んで向こうを見ると、ダァーッとあるんで、こりゃダメだと思うんだけど、ところがそうでもないんです。
それを重ねていくうち、なんとなく片付いていくんです。
・・・・・
いま、世の中は不景気で、困った、困った、困ったということが溢れていますけど、困ったと言ってるだけじゃ、何も始まらない。
絶えず、自分がやっていないとダメなんです。
どんな状況になっても、やり続ける。その場を楽しむように。
それと根気なんだよね。やっぱり根気がないとダメなんだ。
・・・・・
「これはもう、だめだ」と絶望しないで、一滴の水でも注ぐというか、そういう仕事を自分もやっていく。
そうすれば、それに同調してくれる人間が必ず出てくると思います。
・・・・・
この日本では、危機になっても助け合う人が多いんです。
不満はいろいろあるけど、まだまだ絶望的じゃない。
希望はあると思います。そう僕は思う。
そう信じないと、生きていかれないからね。


「本当の正義とは、たとえ自分が傷ついても不幸な人々に手を差し伸べること」 
というメッセージを貫いて生き抜いた、やなせさんの数々の言葉に考えさせられることがたくさんありました。
人々の笑顔を見るのを楽しみに、歌やダンスや愉快な演出を自身から率先し、笑いや喜びを周りにふりまいて晩年をすごされた、やなせさん。
やなせさんが生み出したアンパンマンやその仲間たちが、今後もずっと人々に愛され、「正義」の意味を伝えていくって、素晴らしく優しい偉業ですね!

 
今朝、偶然にも近所の子どもが『てのひらを太陽に(やなせたかし作詩)』を、ピアニカで弾いているのが聞こえました。
「生きているからかなしいんだ… 生きているからうれしいんだ…」
生きているんだ、がんばろう!