『ごめん、愛してる』最終回を見て「二極化」について考える…

 
昨日の日曜ドラマ『ごめん、愛してる』が最終回でした。
長瀬君の表情で見せる演技が素敵で、毎週旦那と楽しみに見ていました。
いかにも韓国ドラマっぽい、“家族の因縁、しがらみのある愛”が根底に流れていたドラマでしたが、考えさせられるものがありました。

このドラマの人たちを、もしも東洋占術で占ってみたならば…。
きっと、「親子の縁が薄い」「結婚が難しい」「意外(災難)に巻き込まれやすい」「健康要注意」・・・
的な、よろしくない運をもっているという解釈をしそうな気がしますね。

象意について言葉で表現すれば不幸因子の多い人生ですが、それぞれの登場人物にはその人なりの愛や大切にしていることがあり、自身の考え方や人との関係の在り方によって、幸不幸の捉え方も変わってきます。
そして、長瀬君演じる“律”の、肉体としての時間が少なくなってくるにつれて、精神はとても広がってピュアになっていきましたね。
占い予想の象意からは、その人自身が感じる幸不幸を計り知ることなんてできないよなあ、とぼんやり感じたのでした。


話はガラッと変わりますが、最近「二極化」ということについて考えていました。
夏に受けたセミナーでの『三次元の世界と五次元の世界の二極化』という概念をよく理解できなかったからです。

調べてみると、三次元の世界とは物質的・感覚的な世界(顕在意識)、四次元の世界は意識の世界(潜在意識)、五次元の世界は宇宙意識の世界(超意識)らしいということが、やっと少しわかりました。 
 
で、今、私が理解したいと思っているヘリオセントリック占星術は、潜在的な可能性を探る四次元的な占星術です。
三次元のジオセントリック占星術とヘリオセントリック占星術を統合できた視点をもてれば、より精神的に豊かな人生を引き寄せられるという感じなのですね。

「二極化」っていうのは、コインの裏表とか、直線の端と端のような世界で、交わることがないイメージですね。
一方通行でどちらかに進めば、どちらかは背中になって見えなくなってしまうような感じ。

たとえば、仕事でお金を増やしたいと思う人がいて、その方向で頑張ることを善であるとするなら、その裏側にあるのは、お金が減っていくということで、それは悪だと捉えます。
なんらかのビジネスで成功してお金持ちになりたいと考えている場合は、二極化の片方のみ(お金を稼ぐ)を意識することであって、精神的な二極化の統合は無理じゃない?ってことになりますよね。
お金を増やすことと、お金を消費することに対して葛藤があるならば、この二極化は統合できないわけですね。 
三次元の地上生活の執着に囚われていると、ヘリオセントリック占星術の太陽目線の意識を自分に落とし込むのは難しいそうですが。

二極化を統合するというのは、直線意識ではなく円(らせん)意識に変えること、だそうです。
直線を輪っかにして1周したら次の次元の入り口にたどりつく、という、らせん意識です。
もしくは、「陰極まれば陽に変じ、陽極まれば陰に変ず」という陰陽太極図の意識ですかね。

まずは、どちらか一方を善しとする偏りにとらわれない、ということが、円意識の始まりとして大事なのだとは思いますが。
意識の二極化が統合されたなら、お金に関して考えてみれば、お金に執着することなく自分の潜在的な可能性でお金を稼げて好きなことにお金を使う…ということで生活できるのが理想ってことでしょうかね。


で、最初の『ごめん、愛してる』に戻るのですが。
この題名とドラマの内容に、なんとなく“らせん意識”を感じたんですよね〜。
感情の否定と肯定が輪っかになってる感じ。
死を通じて生を感じるというか、一段上の愛にたどり着いたという感じ、かな。

宇多田ヒカルさんの主題歌もよかったですし、いろいろ感じるものがあったドラマでした。