忌宮神社

 
台風がやっと過ぎていきました。
ものすごい風雨で、我が家も少し雨漏りしました。
天候不順による自然災害、そしてW杯サッカー、日本列島が揺れた1週間でしたね…。

ずいぶん前の6月のことですが、山口県で行われた『ツール・ド・しものせき』に旦那が参加するので、私も観光がてら一緒に出かけてきた日記を。
この『ツール・ド・しものせき』、エイドのおもてなしなども大人気で、毎年受付開始から数分できられちゃうらしいですが、今年も運よくエントリーできたそうで。
 
会場となったのは、下関北運動公園。 
6時ちょっと過ぎぐらいに着いたのですが、すでに公園付近の駐車場は満車。
ちょっと離れた支援学校の駐車場に停めることができました。
旦那は自転車で会場まで移動できますが、私は歩きでトホトホと…結構あるんだな、これが。


  
   開会式の雰囲気 

  
   ストライダーは『チャリダー』でお馴染みの
    ヨガインストラクター大宅陽子さん


旦那は130kmのロングコースに出場。
「がんばれ〜!(^^)!」と見送り、私はバスに乗って(25分ぐらい)、長府に行ってみることに。
長府武家屋敷周辺を、プラプラと。

長府藩侍屋敷長屋」
長府藩の家老・西家の分家の本門にあった建物、ということです
 

    

    


長府で行ってみたいと思っていたのは、「忌宮神社(いみのみやじんじゃ)」です。
神社で「忌」という名前がつくのは、ちょっと珍しいんじゃないのかい?と思い。

忌宮神社」のご祭神は、仲哀天皇とそのお后である神功皇后、皇子の応神天皇
仲哀天皇がクマソ征伐の際に、豊浦宮(とゆらのみや)に7年間、宮を置いたということ⇒後の忌宮神社に。

仲哀天皇は豊浦宮で政治を行い、さらに筑紫(福岡県)の香椎に進出されたが1年にして御崩御
喪を秘したまま、豊浦宮近くの、現在の長府侍町土肥山に仮埋葬された、とのこと。

神功皇后はご懐妊中でしたが、クマソを煽動していた新羅征討を決行され、凱旋後に天皇の御神霊を豊浦宮に鎮祭。
そしてその後、皇后は皇子(のちの応神天皇)を、安産にてご出産されました。
 ※神功皇后のご出産については、糟屋郡宇美八幡宮という説のようですが?

ということで、「忌宮神社」は、文武の神(勝運の神)・安産の神、の御利益があるとのことです。
「忌宮」という名前は、聖武天皇の時代になり、神功皇后と合祀してからの名のようですね。

また「忌宮神社」は、日本のカイコ養蚕のルーツであるということ。

秦の始皇帝十一世の子孫、功満王(こまおう)が入朝帰化し、豊浦宮にて仲哀天皇に蚕種(さんしゅ)(蚕の卵)を献上したとのこと。
古代日本に、中国から蚕種が渡来した伝承の地であり、「蚕種祭」では神事・繭からの糸取り・機織り奉納が行われるのだそうです。

普段から冷えとり生活で、蚕様の「絹」には恩恵を受けておりますので、ぜひお参りせねば!と思い、行ってみましたよ。

 神社が飼ってる?
 ハトやニワトリ、スズメが、顔を寄せ合って餌をついばんでおりました  

   
     

   
 

「忌」というのは「死者を弔う」という意味であり、「忌宮神社」の名前はそこからきているようです。
また、「忌(いみ」)とは「斎(い)」と同じ、「穢れを浄めた」「慎む」「神聖な」、という意味もあるそうです。

紫微斗数占いでも、『化忌』は占い結果に重要な象意をもたらしますし、「忌」は精神生活において重要な意義をもつという意味で捉えた方がよいのかもなあ…。
  
    
 忌宮神社」近くの「乃木神社乃木希典の記念館に隣設

  
 同じく近くの長府図書館はレトロな雰囲気が素敵です


暑くて疲れたので、図書館でちょっと休憩、のはずが…。
2冊の本を読破するのに熱中してしまい、城下町におしゃれなカフェを見つけてたのにランチタイムががなくなってしまった〜(;_:)
腹ペコでコンビニおにぎりを買い、急ぎバスに乗り込み会場に戻ったところ、旦那のゴール前に間に合った(ふう)
暑くて強風が吹きあれる天候でしたが、彼は無事に130km完走し、なによりでした。
会場でふるまっていた『フグ鍋』(一般は100円)が、とてもおいしかったです!

この日は、2万歩近くも歩きまわりました。なんせ、駐車場から会場が遠かった…。
ま、見知らぬ場所にふらりと出かけるのも、気分転換できますよね〜。