11月20日に冥王星が水瓶座入りしました!が、どんな感じでしょうかね?
トランスサタニアン天体がサイン移動する時には大きな変動が起きることがある…と言われておりますが。
この頃はウクライナーロシア間の両者でミサイル発射攻撃があり、事態のエスカレートが危惧されておりましたが…
日本では特に大きなニュースはなかった感じかと思いましたが?
私はその頃は実家に帰省しておりまして、何やら手続きばかりしておりましたね。
実家で生協宅配をお願いすることにして説明に来てもらって手続きをしておりましたし、母のスマホの機種変更の手続きと設定で、ずっとスマホをいじっておりましたし、他にも病院の手続きなどを。
母のスマホは電話音が鳴らずlineも使えなくなってしまい、家にいるし使わないからいらないと言っていたのですが、彼女が病気になった時に連絡が取れずにすごく困ったので、やっぱり使おうかという気持ちになってくれたのは、”ケガの功名”でよかったです。
ま、小さな進化と便利さが実家に起きたということですけど、これも水瓶座っぽい象意かも?と。
ところで、よく勘違いしてしまいがちなのですが、冥王星が水瓶座に入ったというのは西洋占星術での話であって、実際の空では冥王星はまだ山羊座にあるのですよ。
西洋占星術ではトロピカル基準で星座を分けていて、実際の空にある星座とは違うので「冥王星が水瓶座入りした」と言った場合の水瓶座は星座ではなくて「サイン」と呼ばれているのですね。
西洋占星術で使われるトロピカル基準というのは、太陽と地球との関係で牡羊座の位置が決まり、春分の瞬間の太陽の位置を牡羊座0度に定め、太陽の通り道である黄道を牡羊座から魚座まで30度ずつ均等に割り当てるシステムを言います。
で、インド占星術などではサイデリアル基準という方式を使っていて、こちらは動かない星である恒星を基準として星座を振り分けています。
恒星アルデバランを牡牛座15度としているとか、恒星スピカを天秤座0度としているとかで(色々な説があるみたいです…)、牡羊座から魚座までを均等に30度に割り当てたシステムです。
なので、実際の星座の位置には近いのですが空の星座は全て30度にきっちり区切られているわけではないので、実際の星座とはまた誤差があるのですがね。
サイデリアル基準は地球の歳差運動によって72年に1度ずつ春分点がずれていくので、現在ではトロピカル基準よりも24度近く前(この数も流派によって少しずつ異なるらしいですが)の星座に戻った度数となります。
なので、サイデリアル基準では冥王星は山羊座の5度あたりにあるし(サイデリアルで冥王星が水瓶座入りするのは2040年1月頃)、現在の空でも冥王星は今後しばらくは山羊座の方向にある、ということになりますね。
(ちなみにインド占星術では天王星・海王星・冥王星のトランスサタニアン天体は見ないことが多いようです)
さらに言えば、西洋占星術でのチャートは『ジオセントリック占星術』と言って地球から見た天動説のチャートであり、占星術での太陽というのは実は太陽の周りを公転している地球を投影したものなのですね。
で、不動の太陽を起点にしたチャートを『ヘリオセントリック占星術』という視点で見るのですが、このヘリオチャートでは冥王星は今年の5月14日あたりにはもう水瓶座入りしておりました。
なので、冥王星が水瓶座に移りました!と言っても、占術に使うチャートによってグラデーションがあるわけですし、冥王星はゆ~っくり動く天体ですから、急に目立った変化が起きるわけではないでしょうけどね。
ですが西洋占星術的には移動したっていうことで、今後の時代が変わっていく「風」感は漂っていることでしょう。
あと、私が西洋占星術を独学するのにもっぱら愛読してきた松村潔さんは、『可変サイドリアル』という方式についての本を最近執筆中のようです。
これはスターピープルを意識した方式で、自分の故郷である恒星を起点としたチャートを考えてみるということで、自分のルーツにゆかりのある恒星がわかる人には一番ぴったりくるチャートになるのでしょうけどねえ。
残念ながら、私はまだまだそんな領域には至っておりませんな…。
最近読んだ本…スターピープルさんにはしっくりくる本でしょうね!
なかなかおもしろかったです!
こちらの本ではA面人生(他人の価値観を生きる地球的な生き方)からB面人生(自分の価値観を生きる宇宙的な生き方)への大転換についてが書かれていますが、これはジオセントリックからヘリオセントリックへの大転換とも言えるのかもなあ…と感じました。
2025年の予言などの噂もあるようですが(私は本を読んでないのでよく知りませんけど)、この本に書いてあるような考え方でいられれば、不安感を引き寄せずにいられるかもなあ…と思いましたね。
水瓶座冥王星の時代は、『未来に大きな不安を抱く』という象意も当てはまるかと思いますが、それは『起こりうる未来イメージを破壊して、こうなると思う未来に再設定できる』という象意にもなるのだと思いますね!