ヘリオセントリック占星術で、“使命”はわかるのか?

 
『ヘリオセントリック占星術』で検索すると、「ヘリオセントリック占星術で知る自分の使命」みたいな内容が意外と多いのですね。
わかる気もするけど、そうなんだろうか?と、ちょっと疑問を感じたのです。
(なによりびっくりしたのは、自分の過去記事が検索ページで早めにヒットしたことでしたが…)

“使命”の意味・・・(goo辞典より)
1.使者として受けた命令。使者としての務め。
2.与えられた重大な務め。責任をもって果たさなければならない任務。

“使命”って、思っていたイメージよりも、かなりかたい(土星っぽい?)意味をもっていますよね。
多くの人は“使命”を全うして生きていきたいのかな…。


私が松村潔さんの本を読んでみた印象では、ヘリオセントリック占星術でわかることっていうのは、“社会生活にとらわれない素の姿での創造力の発展性”みたいなイメージで。
人との関わりや、職業、感情にまつわること、といった、生活に適応していくためのことについてはジオセントリックに現れ、ヘリオでは、そういうことを取っ払った、本来の個人としての発展性みたいな感じかと。

なんとなく、“自分の使命”という言葉からは、自分の能力を楽しむというよりは、その能力によって活躍していけるか、お金を稼げるか、人に認めてもらえるか…みたいな、社会環境での個人のやりがい、といったニュアンスを強く感じるのですね。
社会生活の中で自分が得意として貢献する、成功するといった、周囲からの好ましい反応ありきの能力のような。

でもこれだと、地球を主と考えるジオセントリックの考え方になるんじゃないのかしら、と思ったわけです。
ヘリオのホロスコープから読めることは、周囲や環境に合わせることを意識しない、素の自分らしさはどういう面にあるのか、というところであって、“使命”という言葉からいうと、ちょっと違うんじゃないのかな〜と。

どんな状況にあろうとも目指せる自分らしさ、内面的な方向性や生きがいであって、それをジャッジするのは自分、というのがヘリオのホロスコープから読める姿、という捉えだったのです。

なので、ヘリオの意味することを形にしたい、社会生活に反映させることが目的ならば、やはりジオセントリック主体で考えてみて、実際の生活に落としこむ方法や時期を考えていくことが大事になると思うのですね。

とはいえ、松村氏の占いサイトや本の中にも、“使命”という言葉が多用されておりますし、“自分の使命”といった自分ならではという特別感、を期待する楽しさってあります。
 
ヘリオとジオの意味を上手く組み合わせて人生を創造していければ、社会生活でも自分を活かすことができて幸せなんだと思います。
なおかつ時期を読む、という技も大切でしょうし、それが難しいのですけどね。

人生は山あり谷ありですが、それでもヘリオのホロスコープに出ていることに近づくほど、自分軸がしっかりしてくる気がしますね…。