サビアンシンボルの数え度数について考えてみた

昨晩は満月でしたね。

薄暗くなった頃から、綺麗なまんまるお月様が拝めました。

月のサビアンシンボルは、天秤座30度「哲学者の頭にある三つの知識のコブ」。

『完全マスター西洋占星術Ⅱ』には、

思考が繰り返されて沈着したものが感情感情が繰り返されて沈着したものが感覚という三つの要素をもつことで、意識は健全に働きます。・・・三つのコブは、偏りなく知能が働くことを表しているのでしょう。」

とあります。

30度は、そのサインの吐き出し度数。

天秤座は、外と自分の間の落差を感じることで、客観的でトータルな知性を得ようとするサイン。

天秤座30度で哲学的な意識を発揮し尽くして、感情的な一体感である次のサイン、蠍座の世界へと向かっていきますね。

 

さて、『サビアンシンボル』とは、360度に細分化されたサインの1度ずつに、詩的な象徴文をあてがったものです。

で、サビアンシンボルについては、数え度数で読むものと、ずっと思い込んでいたのですが。

天体度数そのもの(小数点以下を切り捨てた数)の方がしっくりくるのでそちらで読んでいます、とか、逆行していた天体や、天体の動きとは逆に進んでいくノード軸については、1度マイナスして読んでいらっしゃるという方々のブログ記事を見かけ、えっ!そうなのか~い?と…。

どちらがよいかはさておき、前後の度数を読んでみて流れを考える、というのが、ほぼ多数意見のように感じました。

私のサビアンシンボルの知識というのは、松村潔さんの著書からのみなので、偏りがあるでしょうしね。

 

私の読んだサビアンシンボルに関する本は、こちら… 

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そもそも、サビアンシンボルには0度はなく、1度~30度の象意になります。

ですが、ホロスコープの度数表示は30度がなくて、0度~29度(29.99…)までなのですね。

なので、単純に考えてみて、小数点以下を切り捨てた1度先の度数で読んでみる方法に納得していたのですが。

 

松村潔氏の著書『牡羊座について』から抜粋してみますと・・・

ところで、わたしがサビアン・シンボルを説明するときには、かならず数え度数で説明する。それだけでなく、度数の意味を説明するときにも、数え度数としての自然数に、数霊の意味を与える。

・・・

ゼロというのは「存在はするが、はじまっていない」状態であり、少しでも動きがあると、それはもうゼロではなく1なのだから。サインの度数を考えるときに、たとえば、0.000000001でも動きがあると、それは自然数1に分類されるべきものである。

つまり1は存在するが、ゼロはどこにも存在しない概念上のもの、あるいは厚さのない薄膜にすぎない。したがってサインの度数を考えるときに、ゼロという読み方を入れることはできない。

・・・

数霊としての数の原理の意味を考えるときに、かならずしも整数にこだわる必要はないが、自然数を基準器にして、意味を構築する場合、まずは1というものから始まる。サインの始まりをゼロというふうに表記してしまうと、サビアンシンボルなども、はじめの度数は、静止した、静止しているが故にいかなる描写も、象徴的表現もできないものとなるので、矛盾した話になるのである。

・・・    

 

よく、ゼロとレイの違いについてのクイズとか、テレビでありますよね。

「ゼロ」は全くなし、無の意味。
「レイ」は「きわめて小さい」「わずかでもある」という意味があるとか。

ということで。

私は、0~1度の間に存在している天体は、自然数として「1」の場所に存在している、という風に考えていたのですね。

なので、例えば0.15度で天体が逆行していたとしても、それは「1」の場所に在るのだから、1度になるのかな~…と。

 

う~ん、どうなんでしょう。

難しいですが、やっぱり前後の象意を読みつつ、私としては自然数(数え度数)で読んでいきますかね。

度数の意味がしっくりこないのは、これまでの経験としてまだ実践できていないから、という風に捉えるかなあ。

きっと、多くの方々を鑑定した経験とかで、手応えの実感としてはまた違ってくるのでしょうね。

 

今のところ、サビアン度数の本は辞書的に使っているだけなので、サインのサビアンの流れもあまり理解できておりません。

”数霊”のイメージを掴めるよう、もうちょっと読み込んでいかなきゃ!ですなあ…。