10月になりました。
日中はまだ汗ばむものの、朝晩はずいぶんと涼しくなってきましたね。
実りの季節、果物も美味しいですよね。
さて。
もう1週間ほども過ぎてしまいましたが、遅ればせながら2021年の秋分図をざざっと読んでみました。
秋分図では、秋分の日~冬至までの3か月ほどの世相を示すと言われています。
押し出しのASCは乙女座、達成のMCが双子座なので、それぞれのサインの支配星である水星が結構重要なポイントになるかと思います。
水星は天秤座25度(数え)で2ハウスにありますね。
天秤座25度のサビアンシンボルは、『秋の葉の象徴が伝える情報』
25度は、サインの完成度数になります。
天秤座は他者性のサインですから、形として見えている現象の背後にある情報を感じとろうとする力、といった客観性の結晶のような意味になるかと。
天秤座水星のある2ハウスは経済の部屋ですし、現状から考えても、物事の裏表を比較検討しながら経済を動かしていこうというのが、日本の動向となるでしょう。
この水星の対向には牡羊座の月があって、水瓶座木星は6ハウスから緊張を緩和する角度をとっていますが、山羊座冥王星は5ハウスから横やりを入れる角度になっていますね。
これは、医療や労働といった面では改善点が大きく出てきそうな気もしますが、国や地盤を再生するために大きな出費が嵩むとか、昔から続いているイベントが立ち行かないなども考えられるのかも。
太陽は1ハウスで火星と合ですし、5ハウスの水瓶座土星との関係もあって、未来に繋がる政策を押し出そうとする力は強そうです。
風サインですし横に拡がっていくような流れも出てくるのかも?ということで、デジタル庁もですが、政治も一極集中から分散という動きも出てくるのかもなあ…と思いましたが。
この土星は、3ハウスの蠍座金星と9ハウスの牡牛座天王星とで緩くTスクエアを作っています。
不動宮のTスクエアなので、人が大きく移動するというよりは、ある特定の場所に密集してしまう心配もありそうな配置ですけど。
牡牛座と蠍座の関係というのも、2ハウスと8ハウスの関係が強調されている雰囲気があるような。
資産運用や、ベンチャー的な新しい資金繰りに繋げていくような知識・情報活動など、やはり経済についての関心が高いように感じます。
7ハウスは魚座で海王星があるので、掴みどころのない曖昧な対外関係とか、実体がわからないようなものが表に出てくる感じもありますが。
他天体との絡みで考えてみますと、これまで見逃されていたお楽しみや地域性などの価値が拡がる?とかもあるのかもしれませんね。
あと、このホロスコープ図には出ていませんが、MCの近くには月の遠地点であるリリスがあるのですよね。
リリスも表に形として出てこないようなもの(タブー化されたもの)などを示すのですが、双子座のリリスなので、ゴシップネタなどはこの3か月は取り上げられることも多いのかもな?と思いました。
これは秋分の日を過ぎて、芸能人や皇室関係の結婚報道が出ているので、ふと思いついた読みですが。
とにかく秋分図は水星が強調されているようには思いますので、多大な情報に何が正しいのかもよくわからず、右往左往するような感じにはなるでしょう。
ま、もう以前からそうなっていることですけど…。
(補足)ちなみに水星は学童期の子どもを示しますし、5ハウスには重たい星もあるので、子育てや出産、教育などで注視されるようなニュースも多いかもですね…
過剰な情報環境の中で、自分をしゃんとしようとコントロールしようとすればするほど、ピリピリと不安感で苦しくなってしまいます。
水星が過剰に働いて精神的に弱ってしまわないように、乙女座の反対側の魚座、双子座の反対側の射手座の気質の「ぼんやり感」や「寛容さ」を、敢えて意識していくのもよいかと思います。
天秤座を意識して、表には見えていない裏側の意図も取り入れながら、自分の中で調和をはかっていきたいですね!
「養老先生のさかさま人間学」
お題(漢字)に対する養老先生の考え方に、ほう~と思います。
子どもでも読めますし、挿し絵も楽しい!
天秤座っぽいかしら?と思った内容を抜粋…
『敵と味方』(『加』という漢字に対して)
よく「いい加減だ」といいます。「テキトーにやっただけ」「きちんとしていない」。そういう意味で使われますが、「ちょうどいい」という意味にもなります。
加は足し算、減は引き算です。足したり引いたりして、ちょうどいいところに収める。元々はそういう意味でしょうね。
足すのと引くのとでは逆です。だから意味が反対だと考えることが多い。でも足し算、引き算は、実は同じですね。見ている向きが違うだけです。等式で、数や式を等号の反対側に移項すれば、正負は逆になります。
意味が逆の言葉はたくさんあります。「生きている」と「死んでいる」。これは反対に思えますが、生きているものでないと死ねませんから、逆というより、お互いに補いあって一つのことを表しているとも考えられるんですね。これを「補完的」といいます。
有無、つまり「ある」と「ない」。これも逆のようですが、考えてみると、補完的です。酒が瓶にまだ半分入っている。もう半分空になった。どちらも同じことを言っています。「半分空だ」という方は、空になった分を見ています。ほら、両方合わせて、酒が入った一つの瓶全体じゃないですか。
いわゆる反対語というのは、よく考えてみると補完語なのです。
敵と味方もそうです。敵味方を超えて一つの世界を見つめることもできるはずですが、今はまだ、難しいんでしょうね。
なぜけんかばかりするんですかね。