『あなたに喜んでもらえるように』

 

 「 あなたに喜んでもらえるように いつも感謝の心で 」
    佐藤初女著 海竜社

 

佐藤初女さんのことは、田口ランディさんの著書で知りました。
佐藤初女さんは、悩み傷ついた人が訪れられるよう、青森県岩木山の麓に「森のイスキア」を建て、心のこもったお料理でもてなし、受け入れ寄り添う、という活動をされていた方です。 

こんなに利他の精神をもった方がいるんだ…と、正直驚きでした。
訪れる人、料理、自然、全ての身のまわりのものを尊重し、自分の身体や時間を丁寧に提供していく、という徹底した生き方なんて…。


 〜本文より〜   

その日、神父さまはミサの中で、
「奉仕のない人生には意味がない。奉仕には犠牲が伴う。犠牲の伴わない奉仕は、真の奉仕ではない」
という内容のお話をされたのです。
神父さまのその言葉を聞いた瞬間、私は何かに打たれたような衝撃を受けました。
それまでも私はまわりの人の相談にのったり、食べ物を分かちあったりということはしていました。
でも、それは自分が無理なくできる範囲でのことだったのです。
この日の神父さまの言葉は、「本当の奉仕をするためには、もう一歩進まなくてはならない」と気づかせてくださったのです。
その日、私は「今のままではいけない。私にできることは何だろう?」と考えながら家路につきました。
私にはお金もありませんし、特別な技術があるわけでもありません。
そんな私にできることはいったい何だろうか。
雪どけ道を一歩一歩踏みしめながら考え続けました。
そして、ある交差点にさしかかったとき、ひらめいたのです。
「そうだ、私には心がある!」
心をさしあげることなら、お金も技術もない私にもできます。
それに、心は汲めども汲めども、尽きることはありません。
そう思い至ったとき、私の心は喜びで満たされました。
あのときのことは、今でもはっきりと覚えています。  


『奉仕には犠牲が伴う』は、佐藤初女さんの生き方。
『正義には犠牲が伴う』は、やなせたかしさんの生き方。
どちらも最近読んだ本にでてきた言葉だったので、私自身ができてないことへの教示なのかなあと感じたのでした。
どちらかと言えば、自分が犠牲になるとか損をするとかがないように、ということを心がけながら生きているものなあ…。


「おむすびを作るときは、お米の一粒一粒が息ができるようにと思って握ります。ぎゅっとは握りません。お米が苦しくなってしまうから…」


お米を炊く時にも、お米の様子をじっくりと観察しながら水の量をほんの少しずつ調整して炊くのです。
一粒のお米の様子にも心を配る初女さんの思いが、おむすびを通じて食べる人に伝わります。
愛をこめてむすんだおむすびを通して、訪れた人々に“今を生きることへの心の結び”を伝えていかれたのだろうな。


「いのちのエール 初女おかあさんから娘たちへ」 田口 ランディ著 
 『 いのちは多様なものたちの力、支え合いのなかにある。
そう気が付いて心がふと静かになったとき、いのちのエールが響いてくる。
初女さんはいつもいのちに耳を澄ませていた。
風のなかに、木々のなかに、ぬか漬けのなかに、人のなかに。 』 


本を読んだ後に知ったことですが、今年の2月1日に初女さんは94歳で他界されたということ…。
初女さんへの追悼の意をこめて、せめて“丁寧に目の前のことをする”を心がけながら、日々すごしていこう。