『崖の上のポニョ』を見て、意識世界を考える…

先日の金曜ロードショー崖の上のポニョ』  
 
 


最初から最後までしっかり見たのは、このたび初めてでした。
♪ ポ〜ニョ、ポ〜ニョポニョ、魚の子〜 ♪

可愛い元気いっぱいの子ども心あふれる歌のイメージとはずいぶん違った?内容に、ちょっとした衝撃を受けました。
気になって、ジブリのHPを見てみました。

海辺の小さな町
海に棲むさかなの子ポニョが、人間の宗介と一緒に生きたいと我儘をつらぬき通す
物語。
同時に、5歳の宗介が約束を守りぬく物語でもある。
アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し、
キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く。
海辺の小さな町と崖の上の一軒家。
少ない登場人物。
いきもののような海。
魔法が平然と姿を現す世界。
誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう。
そのために、空間をデフォルメし、絵柄を大胆にデフォルメして、
海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメートする。
少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、
神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。
  宮崎 駿


ほぉ。
宮崎 駿監督は意識(心)の世界を表現したかったのでしょうかね。
 
ポニョは、自分を助けてくれた人間界で出会った優しい宗介のことが、大好きになりました。
会いたい、人間になりたい、という「好き」のために、未知なる外の世界に飛び出します。

ポニョは外に出てきた嬉しさでいっぱい、荒れ狂う津波(波魚?)の上を笑顔で走りまわります。
ポニョを守ると決めた偏見のない宗介の純愛が、人間界でポニョが立ち向かって生きていくための力を与えます。

海は人間の意識世界を表していて、波立つ海の表層は「顕在意識」、かつて人間だったフジモトがいる海底世界は「潜在意識」、慈愛に満ちたポニョのお母さん(海の女神様)が「深層意識」という感じかな。

「潜在意識」の世界に閉じ込められていたポニョ。
抑圧された潜在意識が顕在意識と出会って外の世界で形になるためには、愛が大事だというメッセージなのかなあ。

街は海に沈みますが、海の世界は古代の魚たちが悠々と泳ぐゆったりとした美しい世界で、船をこぐ人々は協力しながら生きている力にみなぎっています。
深〜いところで眠っている記憶などの意識世界は、静かでゆっくりした豊かな時間が流れているイメージかな。

生きていくことですさんだ気持ちになることもありますが、自分の潜在意識(深層意識)の世界を感じ、自分にある“好き”を純粋に楽しめたならば、そこには愛があふれた世界が広がるはず!っていうことでしょうか。


2008年上映ですから、東日本大震災の前の作品なのですね。
なんだか今後の日本を憂う予知能力?でもあったのではないかと感じてしまいましたが。  

内容的にはよくわからないこともありますが、このアニメは理屈(頭)で考えるというより、なんとなく気持ちで感じるのがいいのでしょうね。
とにかく抽象的な世界観を、感覚としてふんわりとやわらかく、そして危機的に感じられるように、映像として表現したことがすごいです!

崖の上のポニョ』っていうタイトルも考えてみると、不思議ですよね。
崖の上という緊張感と、ポニョという響きがもつリラックス感…。

宮崎 駿監督の意識世界は限りなく深く広がっているんだなあと、畏怖の念を抱きます。