蠍座新月

11月になり、カレンダーもあと2枚となりましたね。

毎年11月に入ると、年越しへのカウントダウンを意識するようになります。

日の入りも一気に速くなってきたと感じますし、夜が長くなりましたよね。

 

さて、5日の朝、蠍座新月を迎えました。

 

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東京図では、東の地平線に日が昇ってきてすぐ、の新月でした。

反対側の西の地平線には天王星

牡牛座天王星を鏡として見るような、相手側に投影するといった関係性ですね。

蠍座新月も牡牛座天王星も13度(数え)。

13度は、周りと同調せずに抜きん出るような感じでカリスマ度数と言われます。

 

この星配置をぱっと見た時に最初に思いついたのは、新庄氏の日ハム監督会見でしたが。

蠍座は人との関係性を示すサインで組織も意味しますが、球団という大きな組織の変容のために、牡牛座天王星的な独自スタイルの能力をもった新庄氏を抜擢して契約する、というのは当てはまるかな。

新庄氏は整形も公言していますし、野球界の会見では見られないようなド派手な高級ファッションも、牡牛座天王星っぽい印象だったかな、と。

新月蠍座13度のサビアンシンボルは、『実験をしている発明家』

実験的に人脈を活用することによって新しい可能性を探求していく、という意味で、まさにそれっぽいなあと思ったのですけどね。

この新月天王星軸には、3ハウスの水瓶座土星も横やり的に関わっていますので伝統的なやり方を改革しようとしますが、土星ですし厳しい意見などの試練も出てくるのかもしれませんね。

 

他に思いついたのは、蠍座は研究に入り込むような意味もあり、シンボルの文面のままコロナ関連の薬の研究開発なども期待できそうな感じはあるかと思いますし、最近そういう報道も出ていましたよね。

また、参院選ではベテラン議員が次々と落選、野党共闘は大敗して枝野さんは代表を辞任、維新の巻き風も強く政党運営として人材配置などの改変が起きているのも、先日の牡羊座満月からの流れとして、この新月図にも出ているように思います。

そして、12ハウスと3ハウスにある天体間にはスクエアができています。

ネットでのニュースに煽られるとか偏った情報への誘引、通信や流通、交通機関での行動制限のようなことも起こりやすい配置かもですね…。

 

蠍座が強い時期を迎えますし、自分をドラマチックに変えていきたい気持ちで、ネットサイトでの出会いや仕事での新規契約などにも興味が出やすい時かもしれませんね。

ただ今回の新月には天王星水瓶座土星が関わっていますので、情熱のある思いや依存心で関わろうとしても、こちらが期待していたのとは違う相手のそっけない反応に、がっかりさせられることもあるかもなあ…と思います。

相手には自分とは違った感覚があることや裏側にリスクもあることを考慮しながらも、実験的に新しい出会いに一歩踏み出してみることで気づきを促される新月図、という風に感じますね。

 

で、新月頃に私の身のまわりに起きたことは、特にドラマチックでも何でもなかったですねえ。

私の場合は5ハウスでの新月となるので趣味での出会い、ということで絞り出してみれば、図書館で借りていた長編小説『新世界より貴志祐介著』(アニメ化もされている作品のようですけど全然知りませんでした…)を何とか読み終わった頃だったのですが、この本の内容はかなり蠍座っぽいと感じました。

呪術を使う未来の人間世界の設定ですが、禁忌の真実が隠された世界観で重めの内容、描写や説明もくどいぐらい徹底していて性描写もあり、洞窟内や海底での息苦しい場面も多く圧迫感もありで、途中で読むのも挫折しそうになったのですが。

そういえば本の題名は、天王星っぽいかもですね。

あと変容?ということで言えば、新月の日でしたが階段からズダダダ~と落ちてしまい、特に骨折も捻挫もなくてよかったのですが、右太ももの裏側に大きな赤紫色の打撲あざができました。

旦那に見せると、「すごいね、虹みたいなあざ!」「手すりを持ちなさいといつも言ってるでしょ」と言われて、少しは心配してくれるかと思った私の意に反した言葉が戻ってきましたけどね…(笑)

まあこれは、私の健康管理の6ハウス射手座(射手座は体で大腿部を示す)の火星が現行牡牛座天王星と150度の影響を受けたのだろうな?と思いますが。

天王星と出会う蠍座新月、ということで満月までの日を過ごしてみると面白い気づきがあるかもですね!

 

どうでもよいことですが、今回読んだ『新世界より』の小説では「遠き山に陽は落ちて~♪」の歌詞(ドヴォルザークが作曲した交響曲9番『新世界より』2楽章)が何度か出てくるのですね。

あらためてwikiで見てみると、フィッシャーの詩にこめられた意味が、小説の内容に重なるのかもな?と思いました。

wikiより抜粋

フィッシャーは、「Goin' Home」の作詞にあたって、黒人英語風の表記を用いるなど霊歌を思わせる演出も加えていた。フィッシャーの歌詞における「home」は「家」ではなく、「故郷」という意味と、キリスト教的な、死後に救済された魂が赴く場所としての「天上の故郷」という意味が重ねられている。…

家路 (ドヴォルザーク) - Wikipedia

 

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